涼しくなるかもしれない不思議な話~自分の子供のイマジナリーフレンド?のお話です。

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【イマジナリーフレンド】

「イマジナリーフレンド」を知っていますか?
ウキペディアによりますと、
以下の通りとなります。

イマジナリーフレンド(英: Imaginary friend)とは、
心理学、精神医学における現象名の1つです。
学術的にはイマジナリーコンパニオン(IC)
という名称が用いられているとのことです。
「想像上の仲間」や「空想の遊び友達」
などと訳されることは多いですが定訳はないとのことです。
インターネット上ではIFと略されることもあるそうです。

通常児童期にみられる空想上の仲間をいいます。
イマジナリーフレンドは
実際にいるような実在感をもって
一緒に遊ばれ、子供の心を支える
仲間として機能しています。
イマジナリーフレンドは
ほぼ打ち明けられず、やがて消失するとのことです。

主に長子や一人っ子といった子供に
見られる現象であり、
5〜6歳あるいは10歳頃に出現し、
児童期の間に消失します。
子供の発達過程における
正常な現象であるとのことです。
姿は人間のことが多いそうですが、
人間ではない動物や妖精などの
場合もあるとのことです。
また、本人と対話ができる
ぬいぐるみなど、
目に見えるモノを
イマジナリーフレンドに含むのかについては
研究者によって意見が異なるそうです。
このぬいぐるみなどの
擬人化されたモノについては、
Personified Object(PO)
という呼び方がされることもあるそうです。
それに対し、目に見えない
イマジナリーフレンドを
Invisible Friendと呼ぶ研究者もいるとのことです。
(引用元:ウキペディアより、抜粋)

私自身もその数歩手前のような存在はいますが
物心ついたころから、空想上の存在で
ある意味では「理想」の姿です。
今回は私の子供についての
「イマジナリーフレンド」かもしれないお話です。
時期は2回ありました。

【イマジナリーフレンド?~4歳のころ】

最初の「イマジナリーフレンド?」は
幼稚園の年少の頃でした。
誕生日を迎えて4歳になり、
秋を迎えたころに始まりました。
幼稚園は基本的には幼稚園の送迎バスで
通っていましたが、
幼稚園での集まりがある時は、
帰りはバスに乗らずに共に帰っていました。
幼稚園の通り沿いには、
家を2~3軒隔てた先に
遊具がある公園があり、
子供たちはその公園で遊び、
ママたちは立ち話をし、
5時近くまでいる、というのがお決まりでした。
ある時、子供が
行事がなくても迎えに来てほしい、というので、
週に2日ほどは、幼稚園に、
集まりなどが無いときは、その公園に
直接出向いていました。
子供は幼稚園のお友達と
一緒に遊んでいました。
そして帰るときには幼稚園のお友達に
「ばいばい」と手を振るのですが、
自転車の後ろに乗せているときも
何やら楽し気に一人で
話し込むようになりました。



ある時に「楽しそうだね」というと、
子供はその存在を教えてくれました。
その時は「ああ、イマジナリーフレンドだな」と
思ってほほえましく子供の話を聞いていました。
子供が言うには「その見えない子」は
「ドラえもん」が大好きで、
時々、公園に「ドラえもん」の
格好をしてくるんだそうです。
もちろん、私には見えません。

ちなみにこの時、
子供はまだ「ドラえもん」のテレビは
見てはいませんでした。
親子の会話にも「ドラえもん」は
まだ出てはいませんでした。
幼稚園で聞いたのかな?とも思いましたが
わかりません。
子供に聞くと、
「ドラえもん好きの見えない子」
が教えてくれたとのこと。

秋も深まり、日暮れが早くなると、
公園にいた親子も
帰宅するのが早くなります。
そうして公園にほぼ親子がいなくなっても
薄暗くなっても子供は帰ろうとしません。
そこで私は
家の近くの公園で遊ぶのはどう?
と提案すると、
子供が言うのは、「ドラえもん好きの見えない子」が
公園で遊べるのは
幼稚園の近くの公園だけで、
ほかの公園には行けないこと、
自転車に乗ると、
一緒についてこれるのは少しだけで
いつの間にかいなくなる、とのことでした。

ちょっと怪しいな・・と感じた私。
ある日、薄暗くなり、ほかの子供がいなくなっても
やっぱりなかなか帰ろうとしない子供を呼びに行くと
「あのね、遊びに行っていい?」と聞いてきます。
「その子はどこに住んでいるの?」と私。
「ついてきてだって」と子供。
そして
「もうすぐ引っ越して遠くに行くから来てだって」と
子供がそんなような事を言った記憶があります。
そしてすうっと走り出す子供。
私は子供の手をつかみ、
「じゃあ、お母さんも一緒に行く」というと、
「お母さんはだめだって」といい、
立ち止まって「ばいばい」と言って
大きく手を振りました。
その子の話はそれきり言わなくなりました。
季節は冬になっていたこともあり、
幼稚園の後でその公園に寄ることは
暖かくなるまではなくなりました。
そしてある時私は夢を見ました。
夢の中に出てきたのはその公園。
そしてよく滑っていた
滑り台の前に立っていました。
滑り台の下にある女の子がいました。
風貌は「かなりワルなちびまるこちゃん」
といった感じでした。
そのワル子ちゃんは悔しがっていました。
そしてその場からは
離れられないと言っていました。
その後は忘れてしまいました。
その公園で女の子が事件に
巻き込まれた類の話はわかりません。
服装が私の子供時代の頃の
懐かしい感じだったので
検索できない程の過去の事
だったかもしれませんが、
真相はわかりません。
また私がこれまでに見た
「あ〇たの知らない〇〇」や
「ほ〇とにあった〇い話」等の記憶が
夢に出てきた可能性もあります。

実際にその滑り台で遊んだ子供たちは
よく怪我をしていましたが擦り傷程度で
遊具ではよくあることです。



幼稚園を卒園する頃には、
子供はそうした
「ドラえもん好きの見えない子」がいたことは
すっかり忘れていました。

ちなみに「ドラえもん」は
1979年からテレビ朝日系列で放送され、
2005年に大幅リニューアルされていますが、
実はその以前にもテレビアニメ化されておりました。
1973年(昭和48年)に
日本テレビ系列で放送されていたのが
「ドラえもん」の初映像化作品でした。
私の記憶では「ドラえもん」は白黒でした。
そしてその白黒の「ドラえもん」を見ていたのは
まだ小学校に上がる前でした。

「ドラえもん好きの見えない子」も
1973年(昭和48年)放送の
「ドラえもん」を見ていたのかな?
と、ふと思いました。

なお冒頭の公園の写真は、
この話に出てくる公園とは全く関係がありません。

【イマジナリーフレンド?~小学生のころ】

次にイマジナリーフレンド?の存在が
子供の口から出てきたのは、子供が小学校2年生の頃で、
其のころには我が家にわんこがいました。

そのイマジナリーフレンド?の名前は
「ゆめこちゃん」あるいは「ゆめかちゃん」でした。
(どちらかです。)
主に子供の部屋にだけ現れるとのことでした。
年齢は5歳の女の子で
札幌に住んでいたとのことです。
ちなみにこの段階でも、
今現在でも子供は
札幌に行ったことはありません。
6歳のころに函館には行きました。

子供にとっては、友達であり、
妹みたいな存在とのことでした。
そのことを聞いた時、
(ああ、やっぱり妹がほしかったんだな・・)
と寂しくなりました。
「札幌に住んでいた」という過去形なのは、
その女の子が何らかの出来事で
この世での生を終えてしまったとのこと。
その女の子の家族は今でも札幌に住んでいて
女の子は自由にいろんな場所に
行き来できるとのこと。
子供が部屋にいるときに現れて、
まったりと過ごしていたとのことです。



小学3年生までは頻繁に話題に出ていましたが、
その後は段々と少なくなっていきました。
が、私が仕事で夜遅くまで居ないときは、
「ゆめこちゃん」もしくは「ゆめかちゃん」は
来てくれていたそうです。
で、子供が小学5年生になったころ、
「家族が心配しているから
ずっと札幌にいることにした」
と子供から聞かされ、それ以降、
その女の子の話は出なくなりました。
そして小学6年生のころになると
そうした存在がいて話題にしていたことも
すっかり忘れていました。

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