涼しくなるかもしれない不思議な話~実際に体験し遭遇したモノたち~

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連日蒸し暑い日が続きます。
そこで前回に続いて、
涼しくなるかもしれないお話をいくつかあげます。
ただし、あくまでも実体験に基づいたお話なので、
たいして涼しくならなかったらごめんなさい。

【同じ日が何度か1】

小学3年生のころの話です。
登校時、いつもより家を出るのが
遅くなったので、いつもなら横断歩道を渡るところを
その手前で渡ってしまいました。
あせっていたのでしょうね。
横断歩道ではないのでより左右確認が
必要なのですが、そこまで考えが
至らなかったようです。
はっと気が付いた瞬間、
右側には走行車両が・・・。
で、目が覚めました。
「夢か・・・」
そしてやっぱり家を出るのが遅くなり、
横断歩道を渡らずに
その手前で渡ってしまい、気が付くと
右側には自動車が・・。
そしてそこでまた目が覚めました。
そしてまた家を出るのが遅くなりました。
が、今度は横断歩道のところに行き、
(信号はありません)
左右確認をしたのちに渡って登校しました。
無事に1日が過ぎました。

【同じ日が何度か2】
これも小学3年生の頃の話です。
平日で朝、学校に行き、下校し、
夕飯を食べ、お風呂に入り寝ました。
翌朝起きてテレビをつけたら、
昨日と同じ日でした。
そして昨日と同じ出来事が起こり、
でも平和に過ぎて1日が終わりました。
翌朝、日付を確認したところ、
無事に?次の日になっていました。

【「守護霊様」をやってみたら・・・】
中学生のころ、とある女の子と仲良くなりました。
出身小学校もクラスも違っていましたが、
部活が同じであったので、
気が付けば仲良くなっていました。
仲良くなるといっても、
トイレも一緒とか、
恋バナ(当時はそんな言葉はなかった)とか
ファッションの傾向が一緒とか
いうわけではありません。
表面ではクールでそっけないけれど、
心の友というか、そんな関係でした。
彼女は美術的センスに優れ、
風貌もかなり個性的でした。
髪は天然パーマで今でいうソバージュヘア。
そのせいでよく先生に呼び出されていました。
公立の中学校なのでパーマは禁止です。
1980年代の女子中学生、というよりは
バロック時代の人、というような風貌でした。
顔だちも、肌の色は浅黒いですが、
それ以外はヨーロッパ、
そうイタリア南部的な風貌でした。
目力が強い、という第一印象でした。
また彼女は自称ですが霊感が強かったそうです。
いつだか、彼女からじきじきに
「守護霊様」をやろうと申し出がありました。
「守護霊様」とはどこかこっくりさんと似ており、
二人が手をつなぎ、人差し指をぴんと伸ばします。
そして「はい」「いいえ」の二択で質問に対する
回答を得ます。
こっくりさんは小学校の時に流行りましたが、
私は何となく避けておりました。
こっくりさんとタロットカードはどうしても
避けてしまいますね。
で、いざ「守護霊様」を始めたら動く動く。
彼女は驚いてしまいました。
そしてビシビシと「はい」「いいえ」で
回答していくものですから
彼女は怖がってしまい、
そしてある質問に対しての
回答からさらに驚いて
自分で手を離してしまいました。
彼女曰く私は霊感が強いそうですが、
自分ではよくわかりませんでした。
ただし、父方の祖母と曾祖母は強いです。
日常生活で普通に霊を見たり、
声を聞いたりできたそうです。

その件以来、その彼女とは
次第に疎遠になっていきました。

で、大人になって判明した
私の霊感ですが、
競馬では途中リタイアか、
ビリになるお馬さんは何となく
あたることが多いです・・・。



【雷に好かれる?】
子供のころ住んでいた仙台市。
家のすぐ近所になぜか
雷がよく落ちていました。
落雷時の衝撃はすごいものです。
耳をつんざくような音と、
窓ガラスが曲がるほどの圧力です。
が、あれほど派手な落雷ですが、
落雷後はろうそくの炎のようなものが
ちろちろとあるだけでじきに消えて
ボヤ以下ですみます。

現在は稲妻はよく見かけますが、
近所に落ちることは今のところありません。
ゴロゴロ音もよく鳴りますが、
大丈夫です。
あと、雷が鳴る前はカラスが
よく教えてくれますね。
雨が降る前も教えてくれますが、
雷を伴う雨の時には
鳴き声が違ったりします。
より危機が迫ってくるような鳴き方です。

【前歯が折れた2~3日後】
高校生の頃、
アイスクリームを食べていたら、
突然、前歯が折れてしまいました。
その2~3日後に三宅島が噴火しました。

<1983年(昭和58年)年10月3日噴火>
10月3日13時13時59頃より
三宅島測候所の地震計に
噴火の前駆的微動が記録され始め、
15時23分頃、
雄山南西山腹二男山付近に生じた割れ目から
噴火(溶岩噴泉)が始まりました。
微動記録開始より噴火が始まるまでに
三宅島測候所で5回の
有感地震(体に感じる地震)が記録されています。

雄山南西山腹二男山付近より
始まった噴火は、上下に成長し割れ目火口となりました。
火口より谷筋を流下した
溶岩流は主に3方向に流れ、
南南西に流れたものは
粟辺地区の都道を横切り海中に達しました。
西方に流れたものは阿古地区の
400棟を超える住家を埋没・焼き尽くし、
海岸近くで止まりました。

また、16時40分前後には
島の南部新澪池付近と
その南の新鼻海岸付近で
マグマ水蒸気爆発が発生し、
多量の岩塊が周辺に落下し、
多量の火山灰が当方の坪田周辺に積もりました。
新鼻海岸付近においては
火口が開口しました。
溶岩の流出は翌日早朝にほぼ止まりました。

この噴火による損害は、
住宅の埋没・消失約400棟。
山林耕地等に大きな被害を与えましたが、
人的被害はありませんでした。
噴火前後に発生した101回の
有感地震の中で最大のものは
3日のマグニチュード6.2、震度5でした。
(引用元:気象庁)

月日は流れ、大学受験準備中の年(ろーにん中)の秋、
アイスクリームを食べていたら、
またもや前歯が突然折れてしまいました。
それからほどなく、大島で噴火と地震が起きました。
それ以前にも大島では地震と
小規模の噴火が繰り返しおきていましたが、
この年の月は中規模噴火となりました。



<昭和61年(1986年)伊豆大島噴火>
「昭和61年(1986年)伊豆大島噴火」
11月15~23日、12月18日。
火砕物降下、溶岩流。
噴火場所は山頂火口、
B火口列(山頂北西側)、
C火口列(北北西山腹)。
11月12日南側火口壁で噴気開始。
11月15日17:25頃南側火口壁より噴火始まる(A火口)。
15~23日山頂噴火続く、溶岩噴泉、
溶岩湖、溶岩流。19日溶岩が火口から溢れ、
カルデラ床に流下。
21日14:00頃から激しい地震活動開始。
16:15頃 カルデラ床で割れ目噴火開始(B火口)。
溶岩噴泉・溶岩流。
17:46頃 外輪山外側でも割れ目噴火(C火口)、
20:45 C火口噴火停止。
22日02:00頃 B火口の活動衰退。
21日夜全島民1万人島外へ避難(約1ヶ月)。
23日朝山頂部爆発終わる。
23日カルデラ内で二次的な溶岩流。
12月17日微動再開。
12月18日17:30頃 A火口より噴火、
頻繁に爆発し、約2時間続く。
(引用元:気象庁)

※もう前歯は失いたくありません。

【モフモフUFOを見た?】
20代のころの話です。
蒸し暑く寝苦しい夜、
窓を開けようと起き上がり
窓の外に目をやりました。
すると・・・頭上には
白光りしてモフモフした楕円形のモノが
雲一つない夜空にぽわーんと浮いていました。
「なんだあれ?」を瞬きした次の瞬間、
すっかり朝になっており、
私は布団からはみ出して床に寝ていました。
窓はしっかりと開いていました。

※小学生のころに仙台で見た高速移動のUFOとは別物でした。

【本当はコワイ?T駅界隈】
中学生の途中から住んだ
母親の実家の最寄り駅は
東海道線のT駅です。
駅に向かう道からは富士山が見えるなど、
風光明媚な場所ですが、
母方の祖母の話では、
名前の由来は辻斬りが多く出た、からとか。
駅前に葬儀屋さんがあったりとしてこれまた
いろいろ言われていきました。
ただし、葬儀屋さんに関しては、
私は多くの有名人にここで遭遇したので
よかったと思います。
もちろん、サインなどお願いできない状況ですが、
サインをもらうことには興味がなかったので
いいです。
芸能人の皆様は雰囲気が一般人とは
異なりますね、本当に。
喪服を着用して、女性の方は
化粧も控えめにしているのでしょうけれど
出ている「気」が違います。

このT駅は、特急・快速通過が多いので
駅構内での人身事故が多発していました。
そして駅周辺で特にF市側ではよく
殺人事件が起きていました。
実はとある殺人事件で
犯人と思しく人物と遭遇したことがあります。
その時はまだ断定してありませんでしたが、
返り血を浴びたシャツを着用していたので
「犯人だ」ととっさに思い、
見つからないように小道に行き、
通り過ぎるまで潜んでいました。

このように殺人事件や人身事故が多いエリアでしたので、
このT駅を利用するときは
祈ったり、心の中で知っている範囲の
お経を唱えたりしていました。

今ではモールができて、
おしゃれで雰囲気が明るくなり
良い駅前ですよ。

【修学旅行に行ったらついてきちゃいました?】
高校の修学旅行は京都奈良明石。
で、修学旅行後にどうやら
連れてきてしまったみたいです。
二階で寝ていると、
一階から子供が走るような音がします。
で、家の前にある公園のブランコが
真夜中なのにきぃーきぃーとなります。
ある時、勇気を出して窓を開けてみましたが
誰もおらず、ブランコが揺れているだけです。
風もありません。
そうした日々が何日か続き、
ある時夢を見ました。
着物姿と女性と小学校に上がる前くらいの男の子。
ぺこっと頭を下げるとどこかへ行きました。
それ以来、走るような音も
ブランコが揺れる音もしなくなりました。

【化粧坂~鎌倉】
古都鎌倉。
鎌倉幕府がおかれたこの場所は
幾多の合戦が起こり、
魑魅魍魎の住む地、でもあるらしい。
友人と鎌倉散策策をして、
この坂を上ったのですが、
途中からズンと重いものが
乗っかってくるように体が重くなり
何とも言えぬ気分になり、
体調を崩し、強烈な吐き気とめまいを起こし
実際にトイレで吐いてしまい、
友人に謝ってへろへろしながら
家にたどり着きました。
で、しばらくして体が軽くなり、
治ってしまいました。

夫曰く、化粧坂は足を踏み入れたくないそうです。

【長谷寺周辺~鎌倉】
古都鎌倉。
この界隈を歩いていたら、
背後から
馬の蹄のような音と男性の声がしてきました。
そしてビシッ・ひゅんというような音。
そして首の付け根に強烈な痛みが走りました。
その痛さに思わず
うずくまってしまいました。
今でも鎌倉武士がこの地にあった
鎌倉幕府を守っているのでしょうか?

【家で遭遇した幽霊に驚かれた】
受験生の冬。
模試の結果は芳しくありませんでしたが、
変な体験やモノを見る機会が増え、
自分の適性について悩んでいました。
そんな折、ついに姿を現しました。
私と姉の共同部屋の戸は引き戸です。
すうっと引き戸が開きました。
手がかかっていました。
そしてきょろきょろしながらその人物は
部屋に入ってきたのです。
その人物の風貌ですが、
背はあまり高くなく、肩幅はありました。
手足はしっかりとした筋肉質で男性でした。
顔は、ロングヘアで覆われており、
よくわかりませんでしたが、口元はわかりました。
やや厚めの唇でした。
その男性は少し驚いた様子でした。
弥生~古墳時代の図鑑にあるような
「貫頭衣」のような服装で、下はズボン、
勾玉のようなネックレスをしていました。
段々とその男性は近づいてくるので、
「アンタ、誰?」と大声で叫びました。
するとその男性はかなり驚き、
「うわっ」とすると消えてしまいました。
一体誰だったのでしょうか?
ご先祖様?
それから間もなく一階でテスト勉強をしていた
姉が上がってきました。

・・・幽霊に遭遇すると驚きますが、
幽霊に驚かれてしまったので
少し落ち込みました。



【浜町で出会った老婦人】
結婚しやがて子供を出産し子育て中の数年間、
日本橋浜町に住んでいました。
生後1歳未満(10か月くらいかな?)の子供を
ベビーカーに乗せて信号待ちをしているとき、
80~90代位の老婦人が
声をかけてきました。
きけば自分にもこどもがいたけれど、
戦争で亡くしてしまったとのこと。
大変な時は一時だから赤ちゃんとの時間を
大切にね、と話していました。
そして私が老婦人から目線をそらし、
子供に向け、再び目線を戻しました。
その間1~2秒。
老婦人の姿はどこにもありませんでした。

【光り輝く半透明の人】
子供が生まれ授乳中で
睡眠時間がトータルで1時間、
という時期が数か月ありました。
朝方に子供が寝るのですが、
その時が私の息抜き時間。
ベランダに出てぼーっと外を眺めていました。
すると、半透明の人たちが歩いています。
白っぽい人や灰色がかった人、
中には本当に透明で、通る際に、
人型に空間が歪み、「ただいま通行中」みたいになる人。
そうした日々が続くうちに、ある半透明の人と
何か波長?コンタクト?があってしまいました。
するとその半透明の人は驚いたジェスチャーをして
スッと消えてしまいました。
それ以来、半透明の人々を見ることもなくなり、
私の睡眠時間も増えていきました。

【頭上にシャンプーハット?】
妊娠中のことですが、ごくたまに
不思議な物体や現象をみることがありました。
現象としては「何者かの呼吸」です。
そしてその「呼吸音」がしているときは
空間が歪んで見えました。
そしてやたら自分の心臓音が響きます。
「パニック症候群」の可能性も
あると自分で思っていたので
そんな時はひたすら安静にしていました。
そして物体ですが、
転寝中にふと目を覚ますと、
頭上に「シャンプーハット」のようなものが
くるくる回っていることが度々起きていました。
普段は「なんじゃこれ?」と思っているうちに
スゥっと消えてしまうのですが、
この時は「これはいったいどんな構造?」
と気になりました。
よくみるとシャンプーハットの下には
小型機材のようなものがありました。
するとそのシャンプーハットは
「やばい。気づかれた」と言わんばかりに
びくつき、よたよたと窓のほうに向かいます。
が、窓はしまっており、
窓ガラスにぶつかるだけです。
その音もしていました。
「こわれちゃうよ」と思った次の瞬間、
ぐにょっと空間が歪み、
その物体は窓ガラスをすり抜けて
飛んでいきました。
それ以来、その「シャンプーハット」は見なくなりました。
あれはいったい何でしょうかね?

【人間の姿になってみました?】
子供が小学2年生の時に
女子犬を一匹飼うことにしました。
まだほんの子犬なので夜はケージの中です。
ケージはリビングにあります。
子供と私の寝る部屋はその上です。
子供が夏休みのある朝、私はふと目を覚ましました。
すると部屋の中をふわふわと移動する
女の子がいました。
やがてその女の子は私の頭上を飛ぶと、
ドアを開けて部屋から出ていきました。
服装は白いワンピースで裾が茶色でした。
髪は黒髪で肩までありました。
私は最初は子供がトイレかな?と思いましたが
少し背が高いな・・とみると、
子供は私の傍らでごろんと寝ていました。
では今、部屋から出て行ったのは誰なのかしら?
犬の様子を見にリビングに行きました。
わんこは寝ていましたが、
私の足音でむくっと起きました。

今では寝るときは私の横か
頭上でわんこは寝ています。
わんこは白地に茶色の模様です。



【夢で先に登場した実在したモノ】
<あわのうた>
あわのうたとは、
古事記・日本書紀の原点とも
言われるホツマツタヱに
記述されている神代の歌です。
検索すると、映像でも出てきます。

<フトマニ>
「フトマニ」は、
ホツマツタヱと同様の文字ヲシテで
書かれた古文書です。
(概要)
「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」が
「歴史書」であるのに対し、
「フトマニ」は占術と関係の深い歌集です。
「フトマニ」によりますと
編集者はアマテルカミ(天照大神)。
「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」と同様に、
確実に遡ることができるのは
江戸時代までとのこと。
「太占」と漢字表記することもありますが、
「太占」は亀の甲羅をつかった占いであり、
ヲシテで書かれた「フトマニ」とは
別のものであるとのことです。

(伝承)
「フトマニ」によりますと、
成立は「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」と同様に
漢字伝来以前ですが、
現在発見されている最古の写本は
江戸時代のもので、
確実に遡ることができるのも
そこまでとあります。
1967年、松本善之助氏が再発見したとのこと。

(構成)
冒頭にミワノスヱトシ(三輪大臣季聰)の序文があり、
続いて「モトアケ」、
そして128首のワカ(和歌)が載せられています。

「モトアケ」
モトアケ(小笠原長武写本)。
下部の漢字は伝承中に追加された解説文。
フトマニによりますと、
「モトアケ」とは、
古代人の宇宙観の象徴であるそうです。
同心円を中心から放射状に
配された線分で区切ったものに、
文字を一文字ずつを配したものです。

(フトマニの構造)
フトマニは、
「モトアケ」と呼ばれる図をもとに
占うものです。
「モトアケ」は大宇宙を
かたどったものとされています。
具体的には、アワウタの48音と
「アウワ」が円形に並べられたものです。

「中央の輪 アウワ(モトモト、ナカミクラ)」
「1番目の輪 トホカミヱヒタメ(ヤモト、ヤモトカミ)」
「2番目の輪 アイフヘモヲスシ(アナミカミ)」
「3番目の輪 その他の音韻(ミソフカミ)」
という構造になっています。

(引用元:ウキペディアより)

『夢の内容』
夢では空に大きな「フトマニ図」が出現し、
「フトマニフトマニ」と主張。
(それで「フトマニ」ということを知る)
その図がばらばらになって四方に散っていき、
小声で「アワノウタ・・・アワノウタ」とささやいていました。
その場面で目覚めました。
で、後日気になって検索したところ・・ヒットしました。

<幣立神宮>
幣立神社(へいたてじんじゃ)、
幣立神宮(へいたてじんぐう)は、
熊本県上益城郡山都町大野に鎮座する神社。
日の宮(ひのみや)ともいう。旧社格は郷社。
社伝によりますと、
神武天皇の孫である健磐龍命が、
阿蘇に下向した際この地で休憩し、
眺めがとても良い場所であると、
幣帛を立て天神地祇を祀ったということです。
その後、延喜年間(901年 -923年)、
阿蘇大宮司友成が神殿を造営し
伊勢両宮を祀り幣立社と号しました。
天養元年(1144年)には、
阿蘇大宮司友孝が
阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守としました。
(ご祭神)
●神漏岐命
●神漏美命
●天御中主神
●天照大神
●阿蘇十二神

<西御手洗>
幣立神宮と道路を隔てたところにあるそうです。
田んぼの中にあり、普通なら見落としてしまう場所とか。
幣立神宮の鳥居からは10分弱で、
幣立神宮の駐車場からは7分程度とか。
不思議な場所らしいです。

『夢の内容』
絵本を見ていました。
最初に「豊葦原瑞穂の国」の文字が
あらわれました。
そして場面が変わり、黄金色に染まった
水田で収穫間近の風景です。
稲穂のイラストが出てきて
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の文字。
そこで絵本から実写の風景へと変わります。
夢の中では自分は
<幣立神宮><西御手洗>に関わる仕事をしており
特に<西御手洗>を守護していました。
年代は日本にお米が入ってきたころの時代で
実は遠方からの渡来者でした。
空からの声を聞き、大地とつなぐ役目でした。
またつなぎ目のない光り輝く
金属を取り扱っていましたが、
在来の人々との文明がかなり違っていたため、
自分たちの文明・技術・文化は公には
秘密にして助け合い、
融合を目指していました。
けれども、それを公にして、
周辺を支配したい考えの集団が現れ対立。
まるでファンタジー映画を見ているかのようでした。
その集団に一度は勝利しますが、
支配することをあきらめずにまた再度、
争いを仕掛けようとします。
そして「キケンキケンタスケテ」
の声が聞こえそこで目が覚めました。

後日検索すると双方とも実在することが判明。
「行ってみるか~」と思っているうちに
熊本地震と阿蘇山噴火が起き、それが
数年続き、規模が大きい地震と
阿蘇山が爆発的噴火となり、
行く機会を逸しました。



<飛騨地方の空飛ぶ乗り物>
『夢の内容』
昔々、実は日本の文明は、
はるかに進んでおり、
天翔ける竜か白鳥かのごとき乗り物が存在しました。
けれどもある時を境にそれらは封印され、
「天翔ける乗り物」も利用されないように
隠されました。
それが現在の飛騨地方にあるとの内容で、
だからぜひ来てね♪というものでした。

その後、飛騨地方には不思議な伝説が多々あり、
実際に古代国家の中心地で
「天浮之船(アメノウキフネ)」
があったという内容や、
龍ヶ峰の高原にある、
飛騨共同模範牧場の一角に、
大空を翔る天馬が眠っている、
と伝えられる龍馬石があり、
飛騨の国名の起こりだと伝わっている
「天馬伝説」がありました。

ここは家族旅行してきました。
食べ物が素朴でかつ
とても美味しゅうございました。
また飛騨といえば何といっても温泉です。
奥飛騨温泉郷はとてもよかったです。
実は旅行の前日、
まだ幼稚園児だった子供が突然発熱し、
小児科を受診しました。
発熱以外の症状は全くなく、元気でした。
その時医者が
「明日には下がる。旅行大丈夫」とのこと。
実際に熱は平熱になり、ケロッとしていました。
あの発熱は何だったのでしょうね。

・・・いかがだったでしょうか?
回数は減りましたが、この世に生を受けて
半世紀を経た今でも不思議な事と遭遇しています。
機会がありましたらまた・・。
では・・ここまでお読みくださり
ありがとうございました。

涼しくなるお話~子供の頃に遭遇したモノたち~