医療事務、退職。家庭との両立は職場での立ち位置が大事です!

「医療事務、退職。家庭との両立は職場での立ち位置が大事です!」のアイキャッチ画像

このほど、5年以上10年以下勤めたクリニックを退職しました。
医療事務は40歳を過ぎて初めて入った業界なので、
民間ではありますが資格をとってもなかなか採用はしてくれません。
まして、就活時には子供はまだ小学校の低学年であったので、
採用されない日々が続きました。
中には、
「子供が居る場合は中学生以上のお子さんがいる人しか雇わない」
「夜遅くまで勤務することが多々あるから
低学年のうちはお子さんのために家にいるべき」
「時間帯が固定シフトのクリニックは人間関係に必ず偏りがある」
等と医療事務未経験の私に
いろいろアドバイスをしてくれた医療機関も
いくつかありました。

で、やっと採用をもらえたクリニックは、
平日夜間と日曜勤務の精神科でした。
最初はかなりためらいましたが、
「経験」が欲しい私は半年~1年以内の勤務と決めて、
そのクリニックに勤め始めました。
小学校低学年の子供が居るのに
夕方から深夜まで及び日曜勤務として採用するのだから
よほどのブラックであることは当初から覚悟しました。
更に、土曜の午後から終了まで勤務して、という指示がでて、
出来ないのなら採用の話は無し、と言われ、
とにかく自分の中で「半年から1年まで」の我慢と言い聞かせました。



業務は殆ど教えてくれず、
教えない割には
「なんで覚えないの?」「バカなの?」
「さっさと辞めなさいよ」「いること自体が大迷惑」と
毎回罵倒されました。
その中でもまともな人は1~2人はいて、
その人たちとシフトが重なる時にまとめて聞いて
覚えました。
とにかく一度聞いてすぐ覚えるように自分に言い聞かせ、
早口で何言っているかよくわからない人でも、
大筋はキャッチし、暗号代わりのメモを取ります。
すると、いちいちねちねちと怒られ、
メモを取る事すら禁止されてしまいました。
次に対策を講じたのは、
その場面を写真の様に画像の様にまるごと覚える、ということでした。
元々記憶力はいい方だったので、
画像そのものを覚えてしまえばメモを取る必要はなくなります。
電子カルテであったので、
風景としてまるごと覚えてしまえば
比較的楽に業務が遂行できます。
弊害としては、どんな簡単な事でも
家に帰ると思い出せなくなる‥という点でした。

暗号の様でしか話さない医師でも、
その思考パターンを掴めば
次第に意思疎通が出来て、
更に予測も立てることができるようになります。
予測が立てられれば、
弾丸の様に要求を矢継ぎ早に言われても、
ただ鵜呑みに「はい」というだけではなく、
順序だてることも出来て、更に質問することが出来て、
訳もわからないままに業務を指示されることもなく、
その先の会話も成立します。

一般の会社にいる上司と異なるのは、
医師は質問を嫌い、
とにかく自分のいう事は絶対である、と当然の様に
想っているということでした。
郵便ポストも医師である自分が「青い」と言えば
反論は許さず賛同しろ、ということです。
一見人当たりが良く見えても心の底は
そう思っている医師が多いということでした。

当然、医療事務のスタッフを最初から見下し、
憂さ晴らしをするために罵倒する医師もいます。
そうした医師は「宇宙からの侵略者」として
何を言われても動じることなく、
あからさまなハラスメントを受けた時は
すかさず院長に報告すること、です。
また共通の「敵」が発生すれば、
医療事務のスタッフ間の仲は
「昨日の敵は今日の友」となります。
医療事務スタッフの「敵」となった医師は
やがて・・・辞めていきます・・・。

従って、仕事の出来不出来は
一般企業ほど重視されず、
真面目にコツコツと業務をこなしていても、
医師や古参の医療事務スタッフに気に入られなければ、評価は低く、
逆に、さぼるぎりぎりか「ミス」が多くても、
医師や古参の医療事務スタッフに気に入られれば評価は高くなります。
大人しくコツコツとこなす人に業務を押し付け頼み、
なるべく日陰から出さないようにして、
表裏が激しく、
上の人間への取り入り方が上手い人が力をつけていきます。
そうした人は、患者さんさえも配下において、
自分の賛同者にして、
「受付の〇〇さんはよくしてくれる」と医師に言ってもらうのです。
当然、その見返りはあります。
混んでいる時に順番を早くしたり、
予約外でも電話で予約を入れたり、
自立支援などの公的支援を、
まだ書類審査中でも、
「適用」にして1割会計にしたりと・・。

自立支援の「適用」については、
新規で審査中の場合の「適用」とする判断は、
各医療機関に委ねられているのですが、
当時は、審査が通り、番号が決定した後にようやく
「適用」にすると職場では決められていました。

勤務時間の固定シフトは
アドバイスを受けた通り、
スタッフ間の人間関係のあつれきや派閥を生み、
また平日夜間勤務及び土曜は午後から業務締めまで、
及び日曜1日勤務は、
次第に子供の心に影を落としていくこととなりました。

まず平日ですが、夕方から入り、
終了時間はその時々により異なります。
長い時で何と深夜で日付が変わり
「終電が近い!」ということで慌てて帰る羽目になります。
5~7時間勤務ですが、休憩はなく、
帰宅しても夕飯も食べる時間などありません。
土曜は昼過ぎから入りますが、終了するのが22時すぎ。
これも休憩などなく、
ふらふら状態で駅までの道のりすら歩くこともおぼつかず、
帰宅するのが危険な状態になっている時もあります。

日曜日は、診察は夕方で終了ですが、
医師から文書仕上げを指示され、
20時を過ぎることもありました。

土曜参観も休ませてはもらえず、
当然、勤務を代わってもらえず、
運動会も最初の頃は、やはり代わってもらえませんでした。



そして・・勤務してもうすぐ1年となるころ、
子供の奇行がはっきりと分かるようになり、
限界を感じ、退職する意向を伝えると、
夜勤務から徐々に朝から夕方勤務までになっていきました。
それでもまだ日曜勤務はそのままでした。
そう、勤務が昼でも夜でも土曜午後でも日曜でも
時給が一切同じであったため、
損する働き方など誰もしたがらず、故に
用事があってもシフトを交替してはくれなかったのです。

39度の発熱をした時でも、出勤するのが当然!と言われ、
嘔吐をしても出勤して、患者さんに心配されるほどでした。
インフルエンザやノロウイルスでなければ出勤!というわけです。
大部分の患者さんは優しい方々です。
感染性は強くないが消毒やうがいをしてくださいね、と
頭を下げた記憶があります。

咳喘息を患った時は実に2か月も咳が止まりませんでした。
その咳喘息を毎年患った時もありました。
それでも当然に出勤です。
パートではありますが、生協の事務局に勤務していた友人は、
咳喘息を患った時は休職となりました。

ちなみに子供はお陰様で、
丈夫で風邪など殆ど引かず、
アレルギーの類など全くありませんでした。
むしろ私が年中、どこかしら不調を抱えていました。

入職して数年、ようやく日曜手当なるものができました。
それでも、主婦にとってはまだまだ割が合わず、
なかなかシフトを交替してくれる人はおらず、
子供会の役員や学校の各役員になって、
其の行事と重なってもなかなか交替してはくれません。
学校のお母さん達からは
「今どき信じられないブラック職場」
「ブラック職場しか採用されなかった」
「医療事務は絶対しない」
などと言われ、私としては
「そうなの~。この年だからねぇ。」
と笑うほかありませんでした。

精神科は各種の診断書も多く、
そうした診断書がわかるように勉強もしました。
結婚直前の頃、
社会保険労務士の勉強もしていた時期もあったので、
「障害年金」の事は何となくわかっていました。
実際、医師からも仕上げを頼まれることも増え、
診断書の作成補助の業務も行っていました。

時間を見つけて、
医療事務の中の文書作成に関する学習を開始しました。
ただ、肝心の「障害年金」や
自立支援や障害手帳に関する診断書は
出てこず、それらはあくまでも医師本人が作成するもの、
と定められていました。
ちなみに「障害年金」はFPにも出てきました。

レセプト業務はその下準備は行っていたこともありましたが、
主業務としではなく、あくまでも補助的な立場でした。
精神科としては、算定は割とシンプルで、
むしろ投薬と病名の合致の方が重要でした。
多剤投与が年々厳しくチェックされてきた時期でもあったので、
病名にきちんと合致しない投薬は即、返戻でした。

子供が中学生になるころ、
成績は駄々下がりとなり、塾通いを検討するも、
勉強に対する子供の意欲はありませんでした。

小学校低学年から夜間勤務及び土日勤務をして
子供に寂しい思いをさせていたつけが
きてしまいました。

これから高校受験を迎えるという時期に
差し掛かる頃、一気に成績が低下しました。

そのころ週4~5日勤務で、
社会保険も加入していた準レギュラーパートでしたが、
事情を話して週3日のパートに戻してもらいました。
年金も健康保険も再び「国民」に戻りました。



週3日の勤務となり、
受付業務兼務で文書担当になりました。
文書作成量がクリニック全体として増加し、
文書の中身を理解している人間でないとその作業は難しい、
ということになりました。
しかし、一部のスタッフによっては
それは妬みの原因になったようです。
いろいろと不可解な理由をつけられては
徐々に受付業務に携わる時間が増えて、
かといって文書の業務も減るどころか
増える一方で、かえって多忙になりました。

時間内でこなすには、
それなりの段取りと要領と集中力が必要になります。

子供が中2になるころ、
はっきりと、「仕事をやめて欲しい」と言われました。
其のころ、子供は身体と肌の調子を崩しがちになり、
学校へは休まずに登校していましたが、
帰宅すると、ごろごろしていました。
何より、肌荒れがひどく、極度の乾燥肌で、
私には不要の保湿液までつける程でした。

体内に熱がこもりやすく、
熱中症を発症しやすく、
夏場は熱中症、冬は極度の肌の乾燥、
そして1年を通して肌荒れ対策をしていました。

更に、実家の母の心の健康が害されてしまいました。
元々、まだ私が小学生のころから、
冬になると不定愁訴を訴えていましたが、
白内障の悪化に伴い、心が不安定になってしまいました。
今でも週1回は必ず実家に行ってます。
また月に一度、
実家と同じ市内にある精神科に通院もしています。

そんなわけで職場にも、週2日勤務を希望しました。
それでも妬むスタッフはいて、
相変わらず嫌がらせはされましたが、
「刺されなければいい」をモットーに過ごしていました。

また、
週2日勤務となればやっと加入して間もない
雇用保険も入れなくなりますが、
保険料は退職まで徴収されていました。

けれども、土日勤務をしないのは
一部のスタッフからはやはり反感を買っていました。
一時は、あれほど土日や夜間勤務を押し付けながら、
事情が変わり、その時間帯の勤務が出来なくなると
またいろいろと言ってくるものですね。

一般企業より医療機関はまだまだ閉鎖的です。
元々医療機関は苦手でしたが
(お医者さんコワイ)、(オバケ見たことある)、
自分が実際に医療機関で働き始めて、
其の苦手感が更に増してきました。

幸い、今はネットでいろいろ調べることが出来て
病気の時の対策や選択も幅が広がっています。
まして今後は「予防医学」なる時代に入っていくとも言われています。
「セルフメディケーション」税制も始まりましたね。
新しく的確な情報を常に仕入れて、
医療機関との付き合いは賢く、
出来れば最低限としたいと考えています。

勿論、素晴らしい医療機関も存在します。

そして医療事務そのものは大切で本来はやりがいのある仕事だと
退職した今でも考えています。
レセプト業務や文書作成を含めて医療事務を極めたい!
という方は特に、婦人科・整形外科に勤務されるといいかもしれません。
また、王道はやはり内科、でしょうかね。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

関連記事です⇓⇓⇓
医療事務、退職しました~夜勤務時の食事の支度など~