医療事務、退職しました~夜勤務時の食事の支度など~

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平日夜間、土曜日午後及び日曜日勤務をしていたころの
生活を簡単に説明いたします。
お一人でも参考になりましたら幸いです。

平日夜間勤務は17時からでした。
でも、17時に入る前に掃除などをしなければなりません。
概ね16時30分頃には入ります。
16時30分から17時までの約30分は勿論、時給は発生しません。



従いまして、家を出るのはその約1時間前になります。
それまでに洗濯物をたたんで、
夕飯の支度をすませておかなくてはなりません。

義理の両親と同居をしており台所は共通です。
義両親の昼食の時間と重ならないように、
夕飯の支度をします。
幸い、12時前後には昼食をとるので
午後1時前からは夕飯の支度が出来ます。
寒い季節の方が支度するのは楽です。
鍋やシチューやカレーやワンタンやおでんなど
鍋一つで済み、洗い物も楽です。
ちなみに・・義両親と同居なので、
洗い物は私が帰宅後に行っていました。

春から秋口にかけて、
気温が高い季節は夫と子供のお弁当を作って
冷蔵庫に入れていました。
働きだして最初の暖かい季節が巡ってきたころは、
おかずを数品作って、耐熱ガラスの容器にいれて、
冷蔵庫に貼ってあるホワイトボートに
温める際の手順などを記していたのですが、
「面倒」とのことでお弁当を作ることにしました。

子供は小学生だったので、
昼食は給食、夫は社食でしかも全額補助が出ていたので、
お弁当は2人1食分で済みました。

夫や子供が帰宅して、冷蔵庫から取り出して
「チン!」するのは1回にしてくれ‥との事でした。
洗い物は途中からはやってくれていましたが、
お弁当箱はきちんと洗わないと、
汚れが残ってしまいます。
結局は、帰宅後にやはり私が行っていました。
あと、宅配の冷凍弁当も利用していましたが、
値段が高く、毎回は利用できません。

ちなみに、利用している宅配は、
値段や宅配曜日などを考慮して、
「パルシステム」にしています。

さて、夫と子供の夕飯は用意できても、
自分の夕飯は食べる時間がありません。
カレーを作った時は大体残っていたので、
深夜にカレーのみ(ご飯はなし)食べていましたが、
それ以外は夕飯は食べませんでした。
ではその分昼食を、と思われるかもしれませんが、
夕飯を作りながらつまむ程度でしたので、
正直「食事」というものではありませんでした。
また、其のあとの時間は出来ればお昼寝をしたかったので、
食べるより寝る方を優先させました。

午後1時過ぎに夕飯の支度をして、
(おでんの時は午前に支度)洗濯物を取り込んでしまって、
出勤前に少し休憩がてら昼寝をして、
子供が帰宅する直前に家を出ます。
なので、平日の出勤日は子供と会えるのは朝だけとなります。
そして帰宅するころには、
子供は就寝している時間帯です。
学校のお知らせなどは翌朝に見ていました。

お風呂に入って洗濯その1をして夜干しをして
やっと布団に入れるのは、
大体午前1時から2時の間になります。
けれども朝は早いです。
夫は7時前には出勤なので、
朝の5時半には起床します。



慌ただしいですが、
朝食の時間が家族とのコミュニケーションタイムとなります。
6時50分迄に夫が出勤、
7時35分頃に子供が登校し、それから掃除や洗濯その2、
学校からのお便りなどに目を通していました。
あとは宅配で注文しきれない分の買い物です。
そこであっという間にお昼の時間となり、
すぐに夕飯の支度をしなければなりません。
・・なので、体調が悪くても病院に行く時間がありません。

子供が夏休みなどになると、
流石に2食分のお弁当は用意しきれません。
そんな時は宅配の冷凍調理品などが重宝します。
電子レンジの使い方を教えて子供が一人昼食をとります。
たまには義母が外に連れ出したかもしれませんが、
基本的には食事は別でした。
ただし、
日曜の夕食については義母が当時は用意をしてくれました。
子供が帰宅した時に、
家に誰かしら居る、という環境はとても助かり、
私も安心して働くことが出来ました。

このような日々が数年続きました。
朝からの勤務になっても、週1日は夜間勤務で、
土曜日は午前の勤務となり、
日曜勤務はそのまま続きました。
幸いなことに、子供の習い事の発表会は、
入職してから、
私の勤務日には当たらなかったので良かったです。
発表会の時は、親も前日から何かと駆り出されるので。
そして、夜間勤務や土曜勤務が減った時は、
学校や習い事の親のポランティアも引き受けるようになりました。

朝からの勤務が増えると、
夜間勤務の次の日は朝から1日勤務のシフトも組まれ、
相変わらずの寝不足の日々は続きました。
おまけに、食事もきちんととらず、
けれどもお腹は空くので、
患者さんからいただいたお菓子を、
仕事終了後にご飯代わりに食べていたので
だからこそ、よく体調を崩し、
また一度崩すとなかなか治らなかったのかもしれません。

でも、夜間勤務が減ったことに関しては、
それだけ家族とのコミュニケーションの時間が取れるので
喜ばしいことでした。
更に、子供の習い事の送迎も出来ますし、
毎月通っていた子供の歯科矯正も
それまでは夫が同行していましたが、
私が付き添えるようにもなり、
矯正歯科医師とのコミュニケーションも
きちんと、とれるようになりました。



職場は、
ぎりぎりの人数でシフトを回しているので、
緊急のシフトに入る時は夜間勤務及び次の日は朝から1日、
という事も多々ありました。
週6~7日勤務で
「いつお休だったかしら?」という日々も続きました。
更に学校や子供会の役員などと重なった年は
大変です。
もっともっと睡眠時間や食事の時間を削って
それこそ馬車馬のように休む間もなく働きました。

子供と夫の体調管理はするのですが、
自分の管理は二の次三の次です。

けれども、このような生活は
子供の心には暗い影を落としてしまい、
次第に私に対して憎しみが生じてしまったようです。

私の財布から現金が抜き取られるようになり、
「お母さんは趣味で働いている」と強い口調で言われ、
家の中でも私は孤立し、
子供は勉強しなくなり、成績が下がっていきました。

子供が生まれてからしばらくして、
私の持病が再発し、
(子宮内膜症及び子宮腺筋症)
子供が幼稚園から小学校に入るまでの間、
殆ど専業主婦として子供と常に一緒に過ごしていました。
夫の二束草鞋の仕事を手伝ったり、
ネット株などで細々と小遣い稼ぎをする程度でした。
なので、小学校に入ってから働きだし、
しかも夜間と土日勤務で、なかなか子供と一緒には過ごせず、
子供自身も急に環境が変わり、
ショックだったと思います。

私自身は、
私が小2の時に母が近所のスーパーで働きだした時は
嬉しくて、母が働いている様子をこっそりと見に行った程です。
でも、私は体が弱くて病気がちで、その看病で
母が勤めを辞めざるを得なかった時は、
心から申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。
ただ、私の子供は私が外で働くことに対しては
ネガティブであったのでした。

週3日勤務になった時は、
完全に朝から17時過ぎまで
(大体17時30分頃)の勤務でした。
夫の仕事の関係で、私も土日に用事が入ることがあり、
職場のシフトからは外れましたが、
その点に関しては子供は納得しました。
けれども、平日に関してはやはり家にいてほしかったのでした。
塾に通うようになり、
学年が上がることに、塾にいる時間が増えて、
塾のために夕飯を早めに作る必要性が出てきました。

受験生になると、
夕飯もお弁当持参で塾に通う時も出てきます。

医療事務でも、その職で勤めている友人や知人の話では、
きちんと昼休みがあるクリニックで、
昼休みには一度家に戻り、夕飯や塾弁を作って、
長い午後に備えて、また職場に戻るそうですが、
私の勤務先は昼休みは殆どなく、
まして一度家に戻ることなどは出来ませんでした。

朝から夕方勤務となっても、
休憩時間は殆どなく、クリニック自体が
「昼休憩」がないので
朝から晩までノンストップ状態なのでした。

子供の要望を聞き入れ、
実家の母の世話もして、
また私の持病の悪化の事もあって
今は退職してずっと家にいます。



春からは子供は高校生になります。
今どきの高校生はかなり忙しいみたいで
また4月からはこれまでにない生活が始まる事と思います。

これまでは私が常に食事の用意をしていましたが、
今後は子供自身で簡単な料理やお弁当が作れるように
教えるつもりでいます。

親が、仕事と家事と子育ての両立で多忙で振り回されるのは、
実はそう長くない期間なのかもしれません。
けれども、その期間をどう過ごすかとても大事で
方法を誤ってしまうと後で取り返しがつかなくなるかもしれません。

何が最も大切なのか目まぐるしく変化する優先順位を見極め、
その時々に応じた最適な働き方を選択していくことが
主婦にとっては大切なのかもしれませんね。

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